メディアの変遷を情報量軸で考えたら、ビジネスの基本が見えた。


|オールドとニューの違い|


オールドメディアとSNSなど、
ニューメディアの比較記事は、
多くの場合、売り上げや視聴者数で
語られることが多い。

メディアの場合、広告収益が、
その基盤を支える現状から、
それらは仕方がないことだが、
速報性やライフスタイル変化が、
その根元にある、
という論調には賛同しかねる。




この記事でも、
政治的片寄りや速報性が、
ウェブメディアに勝てない、
という側面を指摘しているが、
そこには同調しかねる。


|単調すぎる比較に騙されない|


しかし、
何が知りたい、状況が知りたい、
市民の声が聞きたい、
同じことの繰り返しはいらない、
という現実が、
ウェブメディアには報道されている、
だから指示が集まる、
という意見には賛成だ。


ただ、よく語られる、
SNSなどウェブの手軽さや、
手元にあるから、的な、
ライフスタイル変化が、
メディアの潮流を変えた、
というのだけでは、
少し足りない気がする。


|情報量がまったく違う現実|


私は、情報量という側面から、
メディアの変遷を考えたい。


大昔に遡れば、瓦版などの、
チラシのようなものが情報源だった。
それが新聞になり、雑誌になり、
ラジオになり、テレビになった。


紙媒体は、テキスト重視になるので、
情報量は相当に限られる。
もちろん、ページ数を増やせれば、
ある意味、無限なのだが、
そんなことはできない。

ラジオの音声容量はテキストより、
データ量は多い、
そして映像は、さらに多い。
しかし、これらには、
24時間という時間の制約と、
物理的に“見る時間”という、
消費者側の制約も生まれる。


これらの制約を飛び越えたのが、
ネットなのだと思う。
欲しい情報が欲しいだけ手に入る。
ページ数や時間の制約がない。
多様な意見を知ることができる。

この特異性が、
オールドメディアから、
ウェブメディアへ移行した、
大きな要因だと思う。

ただ、
紙であるか、音であるか、
はたまた映像であるかは、
方法論にすぎない。


|方法論で語るだけでは、物足りない|


ネットには、
文字も、音源も、映像もある。
つまり、
何を、どのレベルで伝えるか、
がニーズに合えば、求められるのだ。

先の記事にあがっている、
「こういうのを知りたかった」
が発信できれば、
オールドもニューも関係なく、
メディアとしての価値は高まる。

本質をぶらさないことは、
過去に固執しないことであり、
あらゆるビジネスに共通する、
大切な姿勢なのだと思った。