AIに駆逐されない人間になりたいから。

|テクノロジーは生活にある|


FinTechはどんどん現実に
少なからずの影響力を及ぼし始めた。

昨年のバズワードは、
今年に入り、キーワードとなり、
来年には、日常ワードになる。




投資の世界にAIが参入し、
コンピュータが取引するなんて、
SFの世界みたいなことが、
驚かない時代になった。


この流れはずっと続く。
もちろん、株取引に限らず、
リテールも含めたあらゆる金融領域で、
テクノロジーとの融合が進む。


|普通のことになる恐ろしさ|


この記事にもあるように、
ほかの会社も金融取引AIを使えば、
金融取引能力ではなく、
AI開発能力やアルゴリズム開発、
もしくは処理能力の競争になる。

金融の世界は、
一般人にはわかりにくいが、
こんなことが進んでいったら、
人間は必要とされるのか。

なんて、少なくとも、
向こう50年くらいは、
人間不必要論は出てこないだろう。

ただ金融だけでなく、
多くの領域でAIは走り出す。
テクノロジーと事業の融合が、
もっと進む。


|人間なんていらないよね|


では、我々、人類は、
いや、AIを作れない庶民は、
どうするべきなのか。

このまま駆逐されていいのか。


世界中の経営者やコンサル、
経済学者などが言っている、
「人間の力を高めろ」
と。


私が思うに、人間の力、
それは創造性である。


顧客の期待を越える。
それも、統計的な期待値よりも、
上回る提案を行うこと。
これは創造性にほかならない。


|人に残された生き残る道|


私はもうひとつあると思う。
それは、
「勘」
だ。

“勘”なんてものは、
人間にしかない。


しかし、
“本当の”勘とは適当なことではない。

刑事の勘、
女の勘、
経営者の勘。


これらは経験から弾き出される予測。
ただ数字的根拠に乏しいから、
おおっぴらには言えない。

コンピュータが取り込むデータと、
人間が体験する事実という記憶。

ここの大きな違いは、
リアルな世界は“不確定”ということだ。


|この世は確実と不確実な境界線|


上昇気流の企業が、
社長の不倫で株価暴落。
世界的飲食企業が、
下請け工場の不衛生で、
存立危機の大幅な赤字。
好調な衣料企業が、
エルニーニョにより、
大損害。

世の中は、不確実な事実で成り立つ。

この不確定要素を読む、
もしくは乗り越える施策は、
同じ人間にしから
クリエイトできない。

では、こんな不確定要素を読む、
そんな人間の力をつけるには。


わからない。


が、しかし、
ひとつ確実なのは、
経験値を増やすことだ。
動くことだ、続けることだ、
広げることだ、そして、
体験してきたことを、
深く考えることだ。


|人間の力をつけるには|


家のなかにこもっていてはいけない。
SNSだけで交流してはいけない。
会社のなかにいるだけではいけない。

距離を越えて、
時間をかけて、
人と向き合い、
体験していく。

これを圧倒的な、
質と量で積み重ねること。

これが我ら庶民が、
人間の力を高める、
数少ない方法なのではないか。



美容インバウンドはチャンス、は本当か。


|様々な人たちが来日する意味|


先日、とある夜のこと。
友人女性と友だちのお祝いをしに、
ある飲食店に向かった。

飲食店が多く入るビルに着いた。
エレベーターを待つ。
何人かの男性グループに続いて、
エレベーターに乗り込んだ。

そのあと、外国人グループが乗り込んだ。
白人と黒人の4人組だったか。
みんなご機嫌だった。

彼らはとても盛り上がっていた。
178㎝ある私が見上げる慎重の彼ら。
なんか話しかけてきたが、
酔っているので聞き取り不能。

私たち日本人は、
ニコニコするだけ。


|笑ってすまされない現実|


エレベーターのブザーが鳴る。
重量オーバーだ。
日本では、後から乗った物が降りる。
「降りないとエレベーター動かないよ」
と彼らに伝える。

「お前が降りろよ」
的なことを言われる。
いやいや、それは違うだろ、
と笑いながら言うと、
若い黒人が真剣な顔で
「お前が降りろよ」
と詰めてくる。
目を話したらお前の敗けだ、
的なことを言って睨んでくる。

3分くらいか目と目が交錯する。
何か言ったから、
ふっと笑ったら、
「お前が降りろ、おい」
と言ってくる。

らちがあかないので二人で降りる。
降りながら、
「へい、負け犬野郎」
的なことを言われる。


その後、エレベーターは、
最上階の飲食店に止まり、
動かない。
しばらくして、その下の階に止まる、
そしてまた、その下の階に。

「これってあいつら全部、降りてない?」

「まさかぁ」

すると、
非常階段からたくさん人々が。

「外国人がすべての飲食店でからんでる」
「女と飲ませろって騒いでる」

と降りてきた人。
飲食店の従業員がお客さんを案内してる。
地震でエレベーターが止まったときみたい。

「止めた方がいいですよ」

と言われて、私たちも階段で6階まで上る。

その店にも彼らはきてからんだらしい。


こんな経験は初めてだ。
これまで会った外国人は、
みんな日本文化に合わせていた気がする。

今回、彼らと接して、
何より感じたのは、
とてもバカにされた屈辱感。



|一部でも数が増えれば大分違う|


こんな外国人は一部だろう。
しかし、
来日外国人が増えたら、
こんな機会も増えるだろう。

美容室業界にもインバウンドの流行りがある。

言葉を勉強したり、
ディスプレイを変えてみたり。
それは表面的なことにすぎない。
私が危険視するのは、
クレームだ。

思いと違うヘア、カラー、
効果効能だとか言われて、
自国法で訴えられたら。
どうなるのだろう。

海外だから、問題ない?


そんなものが通用するのか。
疑念や不安は尽きない。
思い過ごしならいいのだが、
何が起こるかわからない。

オリンピックやらインバウンドやら、
盛り上がるのは良いが、
緊急対応策は検討しておいたほうが良い。

“取り次ぐ”という仕事がネットに取って代わられる日。

|存在意義がそのまま仕事になる|


出版業界において、
取次店という、
出版社と書店を“取り次ぐ”仕事がある。

以前も書いたが、
大手になると、この取次店が、
部数や配本先、さらには内容にまで、
口を出してくることがある。

ま、多くの売れ筋を見てきたから、
そのご意見は拝聴に値するが、
それだけでは新しい企画は、
日の目を見ないことも確かだ。

取り次ぐというのは、
一般的に言えば仲卸しみたいなもの。
配送や在庫など、書店の手間を考えれば、
これまではかなりの価値があった。

が、
ECが拡大するほどに、
その役割に疑問を持つ声も高くなる。





|無視できないAmazonの力|


Amazonが取次店を飛び越えて、
出版社からの直販をはじめて、
10年らしい。

昨今の状況を考えれば、
部数を確保したい出版社としては、
卸し価格への魅力だけでなく、
在庫確保や早さ、
そして顧客へのリーチは見逃せない。

記事でも書いてあるが、
契約後に卸率を変更させられたり、
これまでの出版業界の枠組み破壊に
繋がったとしても生き残るには、
仕方ない、、、
という判断も生まれてくる。

これにより新しい仕組みや、
方法論、戦略が生まれてきて、
業界再編に繋がるなら、
それもアリなのかもしれない。



|美容室業界も大きな変革期|


今、私が仕事をする美容室業界に、
置き換えてみると、
いくつかの捉え方がある。


Amazonというプラットホームが、
業界を牛耳ることで仕組みが、
彼らの言いなりになるという、
可能性に関して言うのなら、
ホットペッパービューティーが、
美容室の集客プラットホームとして、
牛耳ることに近いのかもしれない。

ホットペッパービューティーでしか
集客ができない、
ということと、将来的に、
Amazonでしか本が売れない、
という状況が重なる。

その場合、
集客に関しては、ホットペッパービューティーのいいなりになるしかない。
(現実的にはそんなことはないが)

プラットホームを押さえる、とは、
そういうことだ。

これはまだ美容室は生き残る。
(お金はかかるけど、お客はくる)


|ネットが流通を掌握する日|


次は極端な話、
Amazonが美容商品の取り扱いを
し始めたとき、のケース。

いや、Amazonでも美容商品は売ってる。
がしかし、あれは一般商品で、
美容室で扱う美容専売品はない。
(という建前になっている)

メーカーから直接、
美容専売品が美容室に届けられたら、
ディーラーと呼ばれる代理店は不要になる。
これは出版業界に近い状況だ。

これが進めば、
美容専売品の一般消費者への販売が始まり、
美容室でシャンプーを買う人はいなくなり、
美容室の商品売り上げはなくなる。

ま、劇的に極端だが。

少なからず、既にそんな状況は生まれている。

しかし、
出版業界と違うのは、
美容室の場合、お客さんひとりひとりに対し、
美容師という人が介在する点だろう。

美容は消費者ニーズが十人十色なので、
選択肢が幅広く、統計的アプローチが難しく、
ネット販売がバラつく。
だからこそ、売り上げが高まらないのだが、
そこにはネット優位性を防ぐポイントになる。

現実的にこれからの美容室業界で言えば、
メーカーから美容室への直販が増え、
“強み”を打ち出せないディーラーは、
倒産か、大手に吸収されて再編され、
商品はさらにネット販売に流れ、
価格競争にさらされていく。

というのが普通の流れだろうか。


|求められる存在であるか?|


どの業界も同じことだが、
メーカーもディーラーも美容室も、
ま、我々、周辺業者も、
他社と区別してもらうための、
“強み”や“らしさ”が何かないと、
生き残れない時代なのだ。

メディアの変遷を情報量軸で考えたら、ビジネスの基本が見えた。


|オールドとニューの違い|


オールドメディアとSNSなど、
ニューメディアの比較記事は、
多くの場合、売り上げや視聴者数で
語られることが多い。

メディアの場合、広告収益が、
その基盤を支える現状から、
それらは仕方がないことだが、
速報性やライフスタイル変化が、
その根元にある、
という論調には賛同しかねる。




この記事でも、
政治的片寄りや速報性が、
ウェブメディアに勝てない、
という側面を指摘しているが、
そこには同調しかねる。


|単調すぎる比較に騙されない|


しかし、
何が知りたい、状況が知りたい、
市民の声が聞きたい、
同じことの繰り返しはいらない、
という現実が、
ウェブメディアには報道されている、
だから指示が集まる、
という意見には賛成だ。


ただ、よく語られる、
SNSなどウェブの手軽さや、
手元にあるから、的な、
ライフスタイル変化が、
メディアの潮流を変えた、
というのだけでは、
少し足りない気がする。


|情報量がまったく違う現実|


私は、情報量という側面から、
メディアの変遷を考えたい。


大昔に遡れば、瓦版などの、
チラシのようなものが情報源だった。
それが新聞になり、雑誌になり、
ラジオになり、テレビになった。


紙媒体は、テキスト重視になるので、
情報量は相当に限られる。
もちろん、ページ数を増やせれば、
ある意味、無限なのだが、
そんなことはできない。

ラジオの音声容量はテキストより、
データ量は多い、
そして映像は、さらに多い。
しかし、これらには、
24時間という時間の制約と、
物理的に“見る時間”という、
消費者側の制約も生まれる。


これらの制約を飛び越えたのが、
ネットなのだと思う。
欲しい情報が欲しいだけ手に入る。
ページ数や時間の制約がない。
多様な意見を知ることができる。

この特異性が、
オールドメディアから、
ウェブメディアへ移行した、
大きな要因だと思う。

ただ、
紙であるか、音であるか、
はたまた映像であるかは、
方法論にすぎない。


|方法論で語るだけでは、物足りない|


ネットには、
文字も、音源も、映像もある。
つまり、
何を、どのレベルで伝えるか、
がニーズに合えば、求められるのだ。

先の記事にあがっている、
「こういうのを知りたかった」
が発信できれば、
オールドもニューも関係なく、
メディアとしての価値は高まる。

本質をぶらさないことは、
過去に固執しないことであり、
あらゆるビジネスに共通する、
大切な姿勢なのだと思った。


IoTは進化局面に突入し、乗り遅れると追い付けないレベルに。

ピンとこない?IoTってなに?


5年くらい前から、
日本でもIoTが言われ始め、
やっと日本企業も動き始めた。

家電にはじまり、自動車、
健康器具や家そのものまで。

そんな時代にあって、
これからのインターネットとの融合社会、
もしくはデータマーケティング社会で、
下記の記事はとても興味深い。




インターネット オブ スペース

モノの次は空間。
空間作りが人の行動に与える影響は
とても大きいことがわかる。
またそこから人間の心理が読み取れる。

これらを分析して、
よりよい空間、ひいては、
よりよいサービスに展開する、
マーケティングとクリエイティブ。

今後のビジネスに欠かせない。


大きく違うのはヒトの介在



では、私が仕事をする領域では、
どんなことが言えるか。

今年は、「BeauTech」というワードを、
かたくなに推しているのだが、
IoTで関連して言えば、

“IoH”



なのかもしれない。

Internet of Human.

ヒトのインターネット。


モノや空間にインターネットが繋がる、
モノや空間を変革することで、
人の動きや購買を分析する、

これらは外面的な結果にすぎない。
もちろん、行動は心理に起因するが、
必ずしも、それだけではない。

内面的な動き、揺らぎ、
もしくは不安や希望と言える、
心理描写はわかりにくい。



人がいるから得られる情報



ヨガ、エステ、ジム、
美容室、ネイルサロン、
整体、マッサージ、、、

人と人が対面で行うしかないビジネスは、
モノや空間よりも、
消費者のうちなる動向を引き出せる。

これがインターネットと繋がれば、
これらの業界に変革が起こる。

しかし、問題はいくつかある。

そもそも技量不足で、
相手の心を引き出せない人。
それらデータを統合的に蓄積するシステム。
横軸で分析する繋がり。
事業規模が小さいので、
マーケティングにいたらない。

ほかにも数えればキリがない。

ただできない理由を挙げても、
できるようにはならない。

課題はひとつずつ、
小さなところから改善して、
前へ進まないといけない。


私は個人的に、
これらの課題改善と変革をしなければ、
これらの業界はどんどん埋没すると、
本当に思っている。


SNSは高尚であるべきか、低俗であるべきか。

クリエイティブに対する印象


なんとなく一般的に、
クリエイティブって高尚なもの、
ってイメージがある。

また、
クリエイティブしてる俺が好き、
て、輩も多い。
あぁ、俺もそうだった。


この記事は、
とても示唆に富んでいる。

創造性にとって「インテリ気取り」は拘束具だ | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

ぜひ、ご一読を。


高尚と低俗の違いは



そもそも高尚と低俗って何か。

調べた。

高尚とは、
“俗っぽくなく、程度の高いこと”
だそうだ。

低俗とは、
“下品で、俗っぽいこと”
だそうだ。

なるほど。

わからん。

ま、私の解釈で言えば、


高尚と低俗の違いは、

“人間らしい”か否か。

かな。



ラブホテルは低俗なのか


昔、大手出版社の雑誌で、
ラブホテルの特集を担当した。
大手総合出版社がラブホテルを扱うのは、
それまでなかった。
風俗誌か週刊誌しか組まなかった。

しかし、
当時の編集長はやった。
理由はきっと読者ニーズにあわせ、
売れると判断したからだろう。

問題は、
ラブホテルが低俗なネタ
という社会的認知だった。

私たちは、

写真のクオリティ、
キャッチコピー、
徹底的なデータ取材、
キャッチーなデザイン、
などなど、

低俗なものを創造力で、
高尚なもの、、
にはならなかったけど、
下品ではないレベルで見せた。

あれは、今思えば、
創造的だった。
記事で遊んでいた、
ふざけていた、
盛り上がっていた。
クリエイティブだった。

アートが高尚なもの、
ラブホは低俗なもの、
だとするならば、
両方を知るべきだ。

それがクリエイティブだ。


SNSは高尚なものを認め合う場か


私もついついやりがちだが、
SNSでは“良いこと”を語りがち。
良いことをシェアし、
良い人であろうとしがち。

しかしこの記事を見て、
昔のことを思い出した。
低俗なところにも、
クリエイティブは潜んでる。
低俗な世界を知らずして、
創造は生まれてこない。

低俗な世界から示唆を読み取り、
創造の力で高みに昇華させる。

そのチカラもクリエイティブだ。

SNSな世の中を見渡して、
ふと、そんなことを思う。

さ、明日も良いこと吐いてやる。

今こそ、技術と育成にこだわらないといけない理由。

すべての企業が求められる施策


私にその意識はないが、
一応、IT企業に勤めていると、
お客さんから会社のIT化に関する、
質問やら相談が多くなる。

もちろん、すべきことだし、
今、企業のデジタル化を推し進めないと、
あとあとやっかいなことになる、
それは間違いない。

しかし、そのことと技術や教育は別。
例えば集客に執着するあまり、
もしくはテクニックに逃げるあまり、
技術がないがしろになっては、
本末転倒だ。



技術力の育成は嘘をつかない


プロ野球において、
圧倒的な強さを誇るホークス。
今、2軍強化に力を入れている。

ホークスの場合、
以前から取り組んでいて、
ここ数年の強さは、
2軍、3軍の強化にほかならない。

我らIT企業であろうが、
外食だろうが、美容だろうが、
メーカーだろうが、小売りだろうが、
それぞにあるべき、
“技術力の強化”
は避けては通れない。

デジタル化の時代だからこそ、
それぞれにしかない技術力を、
いかに高めて、独自性を磨き、
それを若手に引き継ぐか。

この技術と育成にこだわらないと、
未来はない。

経営力だけで大きくなる、
もしくは安定するのには限界がある。


顧客が本当に買っているものとは


ベーシックな商品である、
技術が高いからこそ、
これからのグローバルな市場で、
生きていけるのだし、
世界のグローバル企業が、
日本市場にきたとき、
対峙することができなくなる。

時間はかかるが、
技術力の貯蓄ができるか否か。
これからの企業の生き残りに、
大きく関わってくる。